内橋電工株式会社/兵庫ナショナル販売株式会社|電球の普及から始まった100年企業の歩み。電気のある豊かな暮らしを「奉仕の心」で支え続ける

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故・松下幸之助氏から贈られた感謝の想い

「貴下ノ御後援ニ對シ衷心感謝ノ意ヲ表ス」

内橋電工株式会社(以下、内橋電工)の社長室の壁には、セピアに色褪せた一枚の感謝状が掛けられている。1930(昭和5)年、松下電気器具製作所(現、パナソニック株式会社、以下、パナソニック)の所主、故・松下幸之助氏から贈られたものだ。

日本に電気が普及し始めたのは明治末期のこと。1935(昭和10)年には、国内の9割近くまで電灯が普及したと言われている。その中でも、大正から昭和初期にかけ、電気による明かりを灯す生活を一般家庭にも浸透させた第一人者が、松下電気器具製作所だった。「二股ソケット」と名付けられた電球は、「大正時代の三大発明品」の一つと謳われている。

その「二股ソケット」を中心とした製品販売に、問屋として携わっていたのが、内橋電工の創業者である内橋貞一氏だった。感謝状には、山間の僻地(へきち)に至るまで電球と電気の普及に尽くした努力と、夜間の生活向上への貢献に対し、幸之助氏から貞一氏への深い感銘と感謝の想いが綴られている。

兵庫県内における、電気のある暮らしの普及と浸透、発展に、伴走し続けてきた内橋電工の歴史は、まもなく1世紀を迎える。

内橋電工の歴史は、兵庫県の電気普及・発展の歴史

内橋電工は、1925(大正14)年4月、貞一氏が加東郡滝野町北野(現、加東市北野)において、電気器具総合問屋「スナダ屋」として創業。その後、早逝した貞一氏の後を、弟の作次氏が2代目として継承した。

「当時は電気がそれほど普及しておらず、電気店もほとんどなかった時代。電球の販売に、まちの雑貨店を回っていたそうです。時には自転車で山を越え、篠山市(現、丹波篠山市)まで出かけていたと聞いています」と、作次氏の孫で4代目の代表取締役社長、正弥氏が語る。

まちに電気が普及し電気店の開業が続く中、スナダ屋の卸売販売先も、また取り扱う製品やメーカーもどんどん拡大していった。1958(昭和33)年には、電設資材の販売事業を分離させた「スナダ屋電工株式会社」を神戸市に設立。その後、「内橋電工株式会社」へ社名を変更し、姫路市、滝野町(当時)、豊岡市、加古川市へと、次々に営業所を開設。電気設備資材の総合卸売販売および設計施工事業に取り組み続けている。

一方、電設資材に加え、テレビ・冷蔵庫・洗濯機などの家電製品の取り扱いもスタート。1964(昭和39)年、家庭電化製品ならびにシステムキッチン、システムバス、トイレなどの住宅設備機器を販売する部門を「兵庫ナショナル販売株式会社(以下、兵庫ナショナル販売)」として、スナダ屋から分離独立。豊岡市にも事業所を構え、住宅設備機器を展示するショウルームも開設。得意先や一般顧客が、地元で新製品を体感できる場を提供している。

そんな内橋電工と兵庫ナショナル販売は、主に兵庫県内の地方部での事業展開を得意としてきた。

信頼の心で築き守る、取引先との絆

「2代目の頃から、山間部にある電気店や工事店を取引先として開拓することに、力を入れてきました。できる限り早くお客様にお届けしたいとの想いから、地方で展開していったと聞いています。配送のネットワークが十分ではなかった地方だからこそ、必要なものを届けなくてはという、使命のようなものがあったのではないかと思うんです。使命を感じながら事業を継続してきた歴史が、今の弊社につながっていると思っています」

正弥氏が回想する2代目の使命が、今につながるエピソードがある。

1995(平成7)年に発生した、阪神・淡路大震災。神戸市兵庫区にあった内橋電工の営業所は、ほぼ全壊だった。当時、会長だった作次氏は、『一日も早い復旧が求められる電気の事業。お客様が一刻も早く仕事に戻れるように』と、被害の少なかった豊岡市や加東市の営業所から製品をかき集め、神戸市周辺の取引先へ納め続けたという。さらに、野菜や食料品などの支援物資を届けることにも尽力した。

「神戸市内を回ると、弊社と取引の長いお客様は、『作次さんの頃はなあ……』と祖父とのエピソードを、今でも聞かせてくださいます。どれほどの信頼関係を築かせていただいていたのかと驚くほど、皆さんが名前を挙げてくださるんです」と、正弥氏は感謝の言葉を口にする。

そんな作次氏や創業者である貞一氏が、幸之助氏の経営理念に共鳴したことから生まれた企業理念、「奉仕の心」と「事業は人なり」。1994(平成6)年8月、3代目の代表取締役社長に就任した、息子の建作氏にも、また2022(令和4)年7月、4代目を継承した正弥氏にも引き継がれ、社員個々の人間性を尊重しながら、取引先との出会いや心の絆を大切に経営を続けている。

「その都度、部材や資材が必要な現場に配達する、配達時に不要になった段ボールや梱包材などを回収して持ち帰る、入れ替えた後の機器は弊社が引き取るなど、どんなに些細なことも疎かにせず、細やかな気配りと目配りを忘れないようにしています。相手がしてほしいことを予見し、ちょっと先回りして行動することで、『内橋電工や兵庫ナショナル販売に任せたら安心だ』と思っていただきたい」と正弥氏は話す。

人と人とのつながりに重きを置き、信頼関係を築いてきた姿勢と歴史によって、選ばれ続ける内橋電工と兵庫ナショナル販売だが、約30年前には大きな転機が訪れていた。

事業縮小の危機を企業努力で乗り越えて

1992(平成4)年、兵庫ナショナル販売は、事業の柱を担っていた家電製品の卸売販売事業から、撤退することになった。パナソニックへの事業譲渡が決まったのだ。

「当時、兵庫県下にあるパナソニック系列の電気店への卸売販売は、弊社が一手に受け持っていました。事業譲渡によって事業の縮小と人員整理を余儀なくされ、大きな痛手を被ることになってしまったんです」

しかし、その後の30年間の企業努力の結果、住宅設備機器や空調機器の卸売販売を中心に、再び事業は盛り返している。

一方、近年は新型コロナウイルス流行の影響で、商品や資材の供給が不安定になり、それに伴う値上げも続いている。

「商品不足については、代替品を探したり他の営業所から融通したり、お客様には納期の調整を依頼したりすることで、お待ちいただく期間を最小限に抑えるよう尽力しています。また、製品の値段に変更が生じた際は、すぐにお客様と情報共有を行い、できる限り影響が出ないよう努めています。」と正弥氏。

ここでも、取引先との確かな信頼関係が生きている。

「事業は人なり」を理念に掲げ、人材を発掘・育成

そうした信頼関係を築く礎となるのは、やはり人材だ。

内橋電工が取り扱うのは、何千、何万種類もの電気設備の部材や資材。入社後、第二種電気工事士(*)の資格取得への挑戦を通じ、電気はもとより、部材や工具についての知識を身につける社員が、半数以上を占めるという。

「初回の受験費用は、会社が負担しています。電気に関する基礎知識があってこそ、取引先と対等に商談が行えますし、仕事に取り組む心構えも、自然と身につくと感じます。電気工事に直接携わることはほとんどありませんが、資格を所持していることで自分の自信にもなります」と正弥氏が話す。

一方、兵庫ナショナル販売は、システムキッチンやシステムバス、トイレなど、住宅設備機器が主な商材。取付工事を行う工務店や電気店へ、配達や納品を行うだけでなく、最新の設備や機器を積極的に提案できるよう、日々の情報収集の努力も欠かせない。実際の施工現場へ出向き、時には施主と直接打ち合わせを行い、おすすめの設備を提案することもある。

「商材への興味と、コミュニケーション力が大切な仕事です。電気や住宅設備に関心があり、地元で仕事に就きたいという人材に出会いたい」と話す正弥氏。今後の展望を共有できる人との出会いに、期待を寄せる。

*電気工事士:電気設備の工事や取扱いの際に必要な国家資格。第二種とは、一般住宅や小規模施設の電気工事、自宅リフォームなどDIYができる資格。

地域の次世代とつながり、新たな100年に向かいたい

電気や住宅設備に関わる仕事は、今後も必要とされる業界である一方、「携わる事業者の高齢化が課題」と語る正弥氏。後継者がいないため、廃業する電気店や工務店も多く、内橋電工や兵庫ナショナル販売にとっては、取引先の減少につながってしまう。

「次の世代を担う、若い事業者とご縁をいただくことが喫緊の課題です。新しい取引先の開拓には、日ごろから社員全員が気を配っています。現場で出会った工事店に紹介していただいたり、ちょっとした機会を見つけては情報をいただき、新たな取引につながる働きかけを行ったりしています」と話す正弥氏は、次世代とのつながりを育むことは、地元の電気業界を盛り上げていくことでもあると考えている。

「弊社は、2025(令和7)年に創業100周年を迎えます。感謝の想いを社員に還元するとともに、日ごろお世話になっているお客様や、各メーカーの皆様にも100年の感謝を届けたい」

90年間もの年月を重ねた感謝状の隣には、白く真新しい感謝状が並んでいる。記されているのは、パナソニック製品の市場浸透と合わせ、社会課題に向き合い地域貢献を続ける尽力への感謝の意だ。

先代たちが守り続けた奉仕の心は、100年という永い時を超えてなお、息づいている。

経営者紹介

代表取締役社長 内橋正弥さん

両親への感謝を込めた事業承継

「後を継がなくてもいいんだよ」

大学進学を控え、進路について話し合った時、父が声をかけてくれました。姉2人がいる末っ子の長男として、大切に育ててくれた両親へ恩返しがしたくて、「事業を継承しよう」と心に決めていました。大学では好きな研究をさせてほしいと希望して、理工学部へ進学。実験が好きだったので化学を専攻し、効率的に薬を作るための物質の研究や開発をしていました。

卒業後は、パナソニック電工株式会社へ入社し、東京で3年間「修行」に励みました。照明事業のマーケティング本部に配属され、営業の後方支援を担当。当時はちょうどLEDが世の中に広まり始めた頃で、全国各地の展示会でパナソニック製品の特長を説明したり、ライバルメーカーの動向調査を行ったりしていました。

ちょうどその頃、電気工事士の資格を取得し、仕事で取り扱う商材が、一気に身近なものに感じられるようになったことを覚えています。まちを歩いていても、「こんなところに、この照明がついているんだ」「こんな機械が設置されているのか」と意識するようになり、それまで以上に家業へ関心を持てるようになりました。

現場の業務に携わった日々が、社長業の支えになる

地元へUターンし、内橋電工へ入社したのは25歳の時です。社長を継承するまでの10年間は、現場の業務を体験し、家業を把握するための勉強の時間でした。各地の営業所に赴き、日常業務や配達を手伝いながら、日々の仕事の流れを勉強しました。

またある時は、注文を頂いた商品がすぐ入荷せず、何らかの手を打たなければ、納期に間に合わないことがありました。でも、先方は急がれています。様々なメーカーのカタログを調べ、発注いただいたものと価格が同等の代替品を提案させていただきました。おかげで納期に間に合い、取引先に喜んでいただくことができました。

弊社の仕事は、ほとんどが仲介業務です。調整をする役目なので、神経を使うことも多々あります。問合せに答え、見積りを作成し、注文を受けて、配達に向かう。時には重い製品も運びます。それが毎日続くので、体力も必要です。営業に携わる社員たちの仕事を、わずかでも体験したことで、身をもって業務のハードさを実感できました。

お客様が喜んでくださった声が、「明日も頑張ろう」という気持ちにしてくれることや、次の成長につながることがわかったのも、大切な経験だったと感謝しています。

素直な心と姿勢を大切に、地域に貢献できる企業を目指す

代表取締役社長という会社を背負う立場に、身が引き締まる想いを感じる日々の中、私が心がけているのは「素直な心」です。

私自身は、声高に自己を主張するより、他人の意見を聞く側に立ちたい性分です。いろいろな人の意見に素直に耳を傾けるスタイルが、自然と身についたように感じます。周囲の意見をしっかりと聞き、参考にすべきことを吸収するように心掛けています。

時には、お客様からクレームをお受けすることもありますが、どんな時でも決して感情的にならず、まずは素直に聞き入れることを大切にしています。素直な心こそ、お客様との強い信頼関係を結ぶきっかけになると信じ、社員がひとつになって業務に取り組んでいます。

これから、社長として自分なりに取り組んでいきたいのは、地元で電気の仕事に就きたいと思ってくれる人材を育てることです。例えば、子ども向け電気工作教室の開催もその一つ。毎日触れるスイッチやコンセントなどを使いながら、電気をもっと身近に感じるワークショップを開きたいと思っています。

授業のような「学習」ではなく、日常生活の延長線上にあるものとして捉えることができれば、電気への興味が湧き、電気業界を志す子どもが現れてくれるのではないかと期待しています。

人材を育て地元に還元できれば、地方の電気業界も盛り上がるはず。ひいてはそれが、企業としての地域貢献になるのではないかと思っているんです。

従業員紹介

岡田智宏さん:内橋電工株式会社 滝野営業所 営業係 / 杉本和紀さん:兵庫ナショナル販売株式会社 滝野営業所 営業係

岡田智宏さん
届けるだけではなく提案する、それが営業の面白さ

地元企業が集まる合同就職説明会が開かれることを、ハローワークで教えていただき足を運びました。そこで出会ったのが、内橋電工です。休日などの福利厚生がきちんと整っていることなど、労働環境の良さに心を惹かれました。内定を頂いた1社目だったことにも縁を感じ、入社を決めました。

私の業務は、電気設備工事に携わる電気店や工事店などの主な取引先へ、工事に必要な部材や資材を納入することです。注文を受け、見積もりを作成し、必要な部材や資材を揃えて発注先へ届けます。

中でも、弊社の強みは「提案営業」です。

電気設備工事は、一つの部材や資材だけで完了しません。「あの部材を使うなら、これが必要だろう。その工事なら、こっちの部材も使うだろう」というように、いくつも必要になる部材を予見して揃えておかなければ、工事が進まないケースが多々あります。

弊社の営業職は、配達から工事現場の立ち合いまで携わるため、工事の全工程を把握しています。そのため、発注された内容に応じて、必要になる部材や資材に気付き、先回りして調達できるため大変喜ばれているのです。

新しい部品を提案し、「使ってよかった」と声を掛けていただけた時は、一層やりがいを感じます。

先輩、上司、取引先、みんなが指導者になってくれる

「ためらったり、格好つけたりせず、何でも尋ねてほしい」

入社時に指導されたこの言葉通り、8年目になる今でも困った時は、すぐ周囲に頼ります。私は文系出身なので、電気のことは全くわからないまま入社しましたが、尋ねやすい雰囲気の社内では、先輩に助けていただいたり、現場では取引先に指導していただいたりすることで、仕事を続けることができています。

時には叱られることもありますが、それもコミュニケーション。期待されているからこそ叱っていただけるので、ありがたいことだと受け止めています。どんなことも一人で解決しようとせず、周囲の人たちの力を借りながら、少しずつ知識を増やしていけばいいと思います。

今後の目標は、大規模な電気設備工事での、見積り作成から商品発注まで、すべて一人でできるようになることです。大きな現場では、下見をして工事の日程を計算し、どんな部品がどのタイミングで必要になるかを予測する必要があります。部品の知識から、規模に応じた部材や資材の量、それに応じた見積りの作成、さらに工程のスケジューリングまで、すべてを管理できるようになりたいと思っています。

地元で働く楽しさを、多くの人に知ってほしい

地元で働くって、いいですよ。地元だからこそお客様と話も合い、仲良くなって仕事もしやすくなりますし、生活の基盤も整えやすいと思います。

「地方には仕事がない」と聞くこともありますが、知らないだけで地元にもいろいろな職場はあります。まずは、探そうとすることが大切だと思うんです。地元の企業にも、ぜひ目を向けてみてください。


(杉本和紀さん)
「Uターン就職もいいな」と思わせてくれた兵庫ナショナル販売

県外の大学に在学中、就職活動で参加したUターン者向けの就職説明会で、話を聞いたのがきっかけです。

もともとUターン就職を考えていたわけではなかったのですが、説明会に参加したことで「地元に戻ってくるのもいいかな」と思い、就職を決めました。文系出身で電気の知識は全くありませんでしたが、何をするにもゼロからだと思っていたので、入社すれば徐々に覚えていけると思っていました。

現場で施工の打ち合わせもできる営業マン!

私の仕事は、システムキッチンやシステムバスなどの住宅設備機器を、エンドユーザーに販売している工務店や電気店、設備工事店に購入いただくための営業です。時には、工務店や電気店などに代わって、エンドユーザーである一般のお客様のところへ出向き、製品を詳しく説明したり、おすすめのプランを提案したりすることもあります。

弊社が取引先に選ばれる理由の一つが、発注された製品をただ指示通りに配達するだけではなく、工程を把握した営業を行えることです。

例えば、新しいシステムバスに取り換える現場なら、解体や新しいシステムの設置に必要な設備資材も、一緒に納品することができます。また製品を収める際、設置に関わる周辺設備の確認や打合せを、工事担当者と行うことも多々あり、「具体的な工事の話もできるので助かる!」と、重宝がっていただいています。

営業とは、設定した目標にたどり着く仕事。取引先に喜んでいただき、エンドユーザーから「あのシステムにしてよかった」という声を聴くことが、いちばん力になる目標です。

どんな仕事も、思い切って飛び込むことから始めよう

製品だけでなく、工程や設備に関する知識を身につけたり、ショールームではアドバイザーとしてエンドユーザーの接客も行ったり、学ぶことや、こなさなくてはならないことが多い仕事ですが、視点を変えれば、自分で何でもできる楽しい仕事でもあります。まずは、思い切って飛び込んでみることが大切だと思います。

これから私自身は、取引先の新規開拓に取り組みたいと思っています。面識のない店や企業への飛び込み営業は未経験なので、自分自身の力試しとしても、また既存の取引店の高齢化や後継者不足で、弊社の事業が縮小に向かわないためにも、挑戦してみたいんです。

その先で、少しでもエンドユーザーの方々の役に立てればいいなと思っています。

文:内橋麻衣子/写真:高橋武男

※令和4年度 加東市商工会企業紹介PR事業

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