JMACS|「社会インフラ」の電線を手がけて50余年の上場企業。IoTやAI技術を活用した新事業開拓で100年企業めざす

目次

電線を通じて社会の発展を支えてきた

電気や情報を伝える「電線」は、人間の体にたとえると血管や神経に相当するといわれる。血管や神経が損傷すると健康を保てないように、電線に不具合が出ると社会や経済の活動に影響が生じかねない。電線が「社会のインフラ」といわれるゆえんだ。

JMACS株式会社は1965年の設立以来、電線の製造販売を通じて社会・経済の発展を担ってきた。

1989年に大阪証券取引所市場第二部(特別指定銘柄)に上場を果たし、2013年には東京証券取引所市場第二部の上場銘柄に。コロナ禍の2021年には本社を製造拠点のある加東市に移転した。これによって、市内に本社を置く上場企業が加東市初で誕生することになった。

通信用屋内電線に特化し業容を拡大

同社の登記上の創業は1948年8月3日。創業者の植村博氏が神戸・御影の地で事業を興したのが歴史の嚆矢(こうし)となる。

時は戦後の混乱期、食うものにも困る時代である。兵役を終えた博氏は、さまざまな商売に乗り出して糊口(ここう)をしのぐ日々を過ごした。その後、技術者としての腕を活かして電線を扱うようになったが、満足な製造設備が手に入る時代ではない。

「祖父は手作業で電線をつくり、荷台に乗せて売り歩いていたと聞いています」

そう話すのは、博氏の孫にあたる専務取締役の植村氏。商習慣も確立していない時代だけに、「創業間もない頃は売り上げの回収にも相当苦労したようです」。それでも博氏の妻・輝子氏が内助の功で経理を担い、夫婦二人三脚で事業を軌道に乗せていった。

創業から苦節20年近くの時を経た1965年3月、博氏は大阪府大東市の地で日本電線工業株式会社を設立。警報用電線や市内対ケーブル(電話回線用ケーブル)、音楽放送用電線の製造販売を始めた。創業時は博氏と輝子氏に加えて従業員2名の計4名で事業をおこなっていたが、設立3年後の1968年には20名の従業員を数えるまでに。年商は1億1千万円を超える規模に成長していた。

なお電線といえば、一般には街中の電柱に張り巡らされた〝電線〟をイメージするが、同社は通信用屋内電線に特化して業容を拡大していくことになる。ちなみに「電線」と「ケーブル」との間に明確な区別はない(一般社団法人日本電線工業会)。一般には構造が複雑で太く、外装のあるものをケーブルと呼ぶ。

「スピードと技術」で短納期対応に強み

1974年には、消防用耐熱電線の消防庁検定に合格。さらに1976年には耐火・耐熱電線の認定を取得したことで以降、防災用ケーブルが同社の主力製品のひとつに育っていく。

現在は防災に加え、工場のFA(Factory Automation)化に伴う計装や制御に関する電線・ケーブル、建物や航空機の内部連絡用電話の通信ケーブルといったニッチ分野に特化し、多様な製品ラインナップで現場のニーズに応えている。

そんな同社の電線事業の強みは「多品種小ロットの製品を短納期でお届けできる点にあります」と植村専務は話す。

「ケーブルは生産効率を高めるために長尺で取引されるケースが多いですが、その分、納期の融通が利きにくいデメリットがあります。当社はこれまでの伝統を踏まえながら『スピードと技術のJMACS』を標ぼうし、小回りの利く対応を得意としています」

コロナ禍で需要急増。スマートグラスを活用した遠隔支援システム

会社設立から50周年の節目にあたる2015年、同社は転機を迎える。社名を日本電線工業株式会社からJMACS株式会社に改称するとともに、電線事業の次なる柱としてトータルソリューション事業部を立ち上げたのだ。

あらゆるものをネットでつなぐIoT(Internet of Things/もののインターネット)やAI(Artificial Intelligence/人工知能)の発達により、工場内の設備をネットワークで接続して生産体制の効率化を目指す「スマート工場」を立ち上げるものづくり企業が増えている。トータルソリューション事業部とはその名のとおり、IoTやAIの技術を活用し、工場のスマート化をまるごと支援する事業だ。

同社が提供できるソリューションは以下のとおり。

なかでも主力のサービスが、スマートグラスを活用した遠隔支援システム。これは現場作業者と支援者が映像と音声を共有し、遠隔作業をリアルタイムで支援できるというもの。当システムを利用するメリットを、事業統括本部長を務める常務取締役の浦井氏はこう説明する。

「現場の作業者が装着したスマートグラスにマニュアルのテキストや画像を表示させることで、支援者は現地に赴かなくても指示を出せますし、作業者の視界をリアルタイムで共有できます。一方の現場作業員は両手が空いた状態でマニュアルを閲覧し、作業できる利点があります。国内外への移動制限が始まったコロナ禍以降、需要が急増しています」

スマートグラス本体は、産業向けのウェアラブル端末を業界内で早期に開発したアメリカのRealWear社製。「業界に先駆けてRealWear社と一次代理店契約を結び、当社が独自開発したアプリケーションソフトウェアを搭載することで遠隔支援システムを完成させました」(浦井常務)

工場現場で培った知見を人材不足に悩む介護業界に転用

トータルソリューション事業部ではそのほか、倉庫製品ピッキングシステムや介護現場サポートシステムの提供にも力を入れる。倉庫製品ピッキングシステムとは屋内測位センサーと生産管理システムを連携させることで製品の所在地を瞬時に特定し、ピッキング作業の効率化をサポートするシステム。介護現場サポートシステムとは人感センサーや温湿度センサーなどを活用した介護施設の見守りシステムだ。

後者の介護システムは同社の事業領域とは異なるように思えるが、「工場現場で培ったシステムを転用することで実現した」と浦井常務は説明する。

「介護業界は離職率が高く人手不足の問題を抱える一方で、オペレーションコストの削減を求められています。工場現場で培った各種センサーシステムを横展開することで介護現場のスタッフの皆さんの負担を軽減し、安全安心な暮らしをサポートできる見守りシステムを目指しました」

製販一体体制を目的に加東市に本社移転

2021年7月には、本社を大阪市福島区から製造拠点のある加東市に移転し、大阪営業所を新設することになった。コロナ禍以降、都市部から地方に移転する企業が増えたが、同社の狙いは何なのか。

「もちろんコロナ禍の影響もありますが、製造部門と本社機能を連携させる製販一体体制を構築するのが一番の目的です。さらに諸経費の削減および働き方改革を含めた業務の効率化を図る狙いもありました」と植村専務は説明する。

本社移転以降、加東市内で新卒や中途の人材を採用する機会が増えている。求める人材像を聞いてみると、「責任感・忍耐力・協調性・向上心・謙虚さを備え、何事に対しても前向きに、かつ最後まで諦めずにやり遂げる、そんな〝考動〟できる人を求めています」と植村専務。

職種は技術職から営業職、事務職まで幅広く、トータルソリューション事業部では新しい事業分野の開拓も求められる。「その意味では、粘り強くバイタリティあふれる人材にも仲間になってほしいですね」と浦井常務は期待する。

祖業の電線事業で50余年、堅実で着実な歩みを続け、現代社会を裏方で支えてきた自負がある。それでも近年は洋上風力発電用ケーブルを手がけるなど、次なる時代の波をとらえる新分野開拓にも余念がない。さらにトータルソリューション事業部を第2の柱に育てるべく、「時代のニーズに応える製品開発に今後も果敢にチャレンジしたい」(浦井常務)と意欲をみせる。

「スピードと技術のJMACS」を合言葉に、社会に貢献し続ける同社。めざすは「100年企業」だ。

経営者紹介

専務取締役 植村さん / 常務取締役 浦井さん

加東市の皆さんにJMACSの存在を知ってもらいたい

(専務取締役 植村さん)
当社で働き始めるまで、東京でリトミック教室を個人で運営していたんです。でも軌道に乗せる難しさを感じていたところ、父(代表取締役社長・植村剛嗣氏)から「うちで働かないか」と声をかけられました。そして2008年にアルバイトでお世話になることにしたのが入社のきっかけですね。

2010年に正式に入社し、東京営業所に配属となって営業事務をしていました。その後2014年に大阪に戻り、トータルソリューション事業部に。2021年に専務取締役に就任し、現在は本社で管理部管掌として経営企画を担当しています。

2021年の本社移転の際には正直、混乱もありました。それでも加東市で新たに採用活動を本格化し、多くの優秀な人材を迎え入れることができました。

加東市の皆さんには、まずはJMACSの存在を知ってほしいですね。そして〝JMACSがあるから加東市に来た〟というような人を呼び込める企業をめざしていきます。そうやって地域に根を張る企業として、地元に貢献していきたいですね。

JMACSと共に歩む決意

常務取締役 浦井さん
2015年3月に入社するまで、横浜でソリューション事業を手がける会社を経営していました。JMACSでお世話になるきっかけは、植村剛嗣社長と再会したこと。植村社長とは大学の先輩・後輩の間柄で以前から懇意にさせてもらっていたんです。

そんな植村社長と再会した際、「電線の次なる柱をつくりたい。JMACSで一緒にやらないか」とお声がけいただきました。

当時、私は経営する会社で新しいチャレンジを求めていた時期だったこともあり、JMACSという上場企業と組むことでさらに大きな事業を手がけるチャンスだと思いました。何より、実直で仕事に厳しい植村社長に思いをぶつけていただき、これも何かのご縁と決断し、JMACSと共に歩んでいくことにしたのです。

2015年3月付でJMACSの一員となり、トータルソリューション事業部を立ち上げました。RealWear社の一次代理店契約を結び、時代のニーズに応えるウェアラブル端末を市場に先行して導入できたのも、JMACSの社会的信用があったからこそ。前の会社では、この協業は実現していないでしょう。

トータルソリューション事業部を電線事業と並ぶ柱に

電線事業とトータルソリューション事業部のエンドユーザーは同じ事業分野です。そのため、トータルソリューション事業部の製品・サービスを電線事業の既存顧客に提案しやすいメリットもあります。

これからも時代のニーズに応える技術革新に果敢にチャレンジし、トータルソリューション事業部を電線事業と並ぶ柱に成長させていきます。

従業員紹介

田渕さん 製造2課(現:製造課)

慣れ親しんだ加東市の会社で働きたい

加東市で生まれ育った私は西脇工業高校を卒業後、2019年に新卒で入社しました。働き始めて今年で3年目になります。

JMACSを志望した理由はおもに2つで、1つは地元企業で働きたいと思っていたからです。外に出て新しい環境に身を置くよりも、慣れ親しんだ加東市で暮らしながら働ける会社を希望しました。

もう1つの理由はJMACSの魅力です。歴史ある企業でありながらAIなどの新しい分野の事業も手がけていて、興味をもって応募しました。

気軽に相談できる風通しの良さが魅力

入社後、電線を手がける製造2課(現:製造課)に配属になり、複数の電線をより合わせる集合工程を担当することになりました。

集合工程は経験が求められる仕事で、なかでも張力の調整が一筋縄にはいきません。装置に入力するベースの数値はあるものの、その日の気温や湿度といった環境によって張力を微妙に調整する必要があるんです。たとえば湿気の多い日は張力を弱めなければ外装テープが切れるリスクがありますが、どの程度の調整が必要になるのかは経験則による感覚が頼りです。

幸い、分からないことは先輩に確認できるので、アドバイスをいただきながら日々がんばっています。どんなことでも先輩に気軽に相談できる風通しの良さが、当社の職場環境の魅力のひとつですね。

周りを引っ張れる存在に成長したい

もう一点、目標管理の仕組みも整っています。毎年、上司との面談で個人目標を設定し、進捗や達成度合いを自分で確かめながら働く仕組みです。上司とコミュニケーションを図る機会にもなりますし、何より成長を実感できる喜びがあります。

JMACSで働き始めて3年経った今、地元企業を選んでよかったと改めて思います。実家暮らしなので親の近くで安心ですし。

製造2課の仕事は、与えられた仕事の繰り返しより、どうすれば効率を上げられるのかを考えながら行動できる人に向いているのではと思います。

今後は、まずは任せられている仕事をしっかりできるよう成長したうえで、自分の仕事だけではなく、周りをまとめて引っ張っていける存在に成長したいですね。

文・写真/高橋武男

令和3年度 加東市商工会企業紹介PR事業

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次