加東市に拠点を構えるLaugh Work Machineは、工業用ミシンを使用してドームテントの製作を手がける企業です。代表の北川勝彦さんは26歳で建設業を退職し、世界を旅して見つけた道は「ものづくり」でした。
その後、ドームテント製作の世界へ転身。バックパッカーとして世界を旅した経験を活かし、独自の視点でものづくりに取り組んでいます。
今回はユニークな経歴を持つ北川さんと従業員の山本さんにお話を伺いました。
このままでいいのか?26歳で訪れた転機
━━創業までの経緯を教えていただけますか?
(北川さん)
ぼくは16歳から26歳まで約10年間、建設業で働いていました。しかし、26歳のときに「このままでいいのか?」と考えるようになりました。これから10年先、20年先を見据えたときに「面白くないな」と思ったのです。
そんなとき、バックパッカーをしている友人の話がすごく刺激的でした。
当時、周囲の会話といえば、ギャンブルやお酒の話ばかりです。しかし、その友人は世界中を旅して、アフリカの最南端まで行ったり、治安の悪い地域の話だったり、日本では絶対にできないような体験や生き方に憧れを感じました。
━━周囲の反対はありませんでしたか?
(北川さん)
会社を辞めると決めたとき、直属の親方は「おまえのやりたいことをしろ」と言ってくれました。少し変わった親方で「宵越しの銭は持つな」というアドバイスもくれました笑
━━バックパッカーはお金がかかりますよね?
(北川さん)
そうですね。だから1年間、必死で貯金をしました。最初はタイからスタートして3カ月滞在、その次はカンボジアに行きました。
━━海外にいるときは働いていましたか?
(北川さん)
いえ、遊んでいました笑
向こうでは日本人のコミュニティがあるので、仲良くなってパーティーに行ったり、飲みに行ったりしました。
━━知らないコミュニティに行くのは怖くなかったですか?
(北川さん)
ぜんぜん怖くないですよ。日本人は礼節があるし、手土産にビールを持っていけば、どんちゃん騒ぎが始まって仲良くなれます。
しかし、旅費でお金が減っていくため、半年ほど遊んでは日本に帰り、重機のバイトで稼いでまた旅に出る。そんなことを繰り返していました。
ぼくは建築家のアントニオ・ガウディが好きでスペインに行ったり、島全体がサーキットのマン島に行ったり、ヨーロッパを4年間巡りました。でも、ふと気づいたときに「自分は何がしたいのだろう?」と思いました。
ネパールで出会った縫製の世界
(北川さん)
ネパールでの縫製産業との出会いは運命的でした。現地では某有名アウトドアブランドの製品が作られています。もともと中国にあった工場から、コストの関係でネパールやインドに流れてきた技術でした。
面白いのは正規品と同じ生地を使いながら、独自のブランドとして展開していること。某メーカーのファスナーは使えないけれど、同じような作りで製品を作る。観光客向けに販売していて、品質も決して悪くありません。そこで縫製について教えてもらい、ミシンの面白さを知りました。
ドームテント製作との出会い
━━帰国後、どのようにしてドームテント製作を始められましたか?
(北川さん)
まず、ネパールで服やバッグなどのフルオーダー製作を頼みました。その後、商品をイベントで販売するためにテントが必要だと考え、ドームテントを製作している親方のもとを訪ねました。
最初、親方からは「自分で作ればいい」と突き放されてカチンときました。でも、諦めずに「教えてもらえますか?」と食い下がり、ミシンを購入して本格的に学び始めます。
━━ドームテントの製作技術について教えていただけますか?
(北川さん)
ぼくたちの作るドームテントは、一つとして同じものはありません。和瓦職人が一枚一枚、瓦を積むように、テントも一つひとつ手作業で作り上げていきます。
フレームの製作から始まり、型紙を起こし、生地を裁断して縫製していく。とくに難しいのは、球体を形作るときの生地の張り具合です。1ミリのずれも許されない緻密な作業。一つの場所で5ミリずれると、20カ所では10センチのずれになってしまうシビアな世界です。
新天地・加東市での挑戦
━━加東市に移住されたきっかけを教えてください
(北川さん)
当時は行政の空き家バンクを活用しながら、富山県を点々としていました。たまたま、加古川に住んでいる大家さんが「加東市に家があるよ」と教えてくれました。
富山県と加東市の空家物件を申し込みしましたが、妻と相談して「加東市が良いな」ということになり、移住を決意します。最初は大家さんから仕事をいただいたり、大家さんからご紹介いただいて仕事をつないでいました。
━━インスタグラムを拝見すると、クルーザーの部品製作も手がけているのですね
(北川さん)
ある経営者の方を通じて船の内装の仕事を紹介していただきました。最初は幌の張り替えから始まり、船の内装も手がけるようになりました。高砂エリアでは、船の内装を手がける業者が少なく、多くは大阪や富山に依頼している状況でした。そんなとき、ぼくがうまくその隙間を埋めることができたのです。
ぼくに教えてくれた親方は、ドームテント以外にもアメ車のローライダーの内装も手がけていました。ソファーの張り替えなども教えてもらったので、その技術が船の内装にも生かせました。
この業界も高齢化が進み、80年以上の歴史がある会社でも廃業されるケースが増えています。その流れで、問屋さんとのつながりから下請けの仕事をいただけるようになり、同じ製品を1000個単位で作るような仕事も増えてきました。
背中を押してくれる人々との出会い
(北川さん)
富山ではできなかったことが、加東市では実現できました。それは頼れる人が少ない分、支援してくださる方々の質が違います。富山にいると、どうしても甘えが出てしまう。しかし、加東市では皆さんが『こうした方がいいよ』と背中を押してくれます。人とのつながりにも二通りあって、「一緒に傷をなめあう友達」か「そんなところで留まっていてはダメだ!前に進もう」と背中を押してくれる人なのか。
加東市で知り合った経営者の方々は、みんな『行こう!できる!できる!』と後押ししてくれる。ぼくは単純な性格なので、その言葉にすぐ乗っかってしまいます(笑)
そんな縁に恵まれて、ここまで来ることができました。今回の取材も、もともとはケーブルテレビの企画で商工会の担当者さんからお声がけをいただきました。ぼくの経験だけでなく、とくに加東市商工会青年部の特徴だと思います。他の地域とは違う、温かさというか厚みがある。世界でいろいろな場所を見てきた、ぼくの経験からも言えることです。
今後の展開は海外進出
━━今後の事業展開についてはどのようにお考えですか?
(北川さん)
海外展開も視野に入れています。今まで学んだ縫製技術を活かして、新しい市場を開拓していきたい。また、職人の育成にも力を入れていきたいと考えています。
残り20年の働ける時間。そのなかで「やりたいこと」と「やらなければいけないこと」をうまく組み合わせていく。スタッフにも、仕事をしながら遊びながら、心が豊かな人生を送ってほしいですね。
新しい働き方の選択。理想の職人を目指して
続いて、従業員の山本さんにお話を伺いました。山本さんは今年9月から本格的に入社されましたが、じつはホームセンターでも勤務しており、ダブルワークで働いています。これからの時代に合った働き方をされている山本さんが、職人を目指したきっかけについて語られました。
━━ご出身と入社のきっかけを教えてください
(山本さん)
幼稚園からずっと加東市で育ちました。もともと、針と糸を使う仕事に興味がありました。
きっかけは何年か前に購入したリュックサックが壊れてしまったことです。結構、高価な商品でしたが、「こんなに高い商品でも壊れるのなら自分で修理した方が良いのではないか?」と思って手縫いを始めました。
その後、阪神西宮にある刺繍屋で70歳くらいの職人さんの仕事を見る機会がありました。技術力に感動して、本格的にミシンを始めようと思いました。そんなとき、昨年12月にLaugh Work Machineの看板をたまたま見かけて、飛び込みで声をかけてみたのです。
━━働き出してどのくらい経ちますか?
(山本さん)
本格的に働きだしたのは、今年の9月からです。それまでは、3月から週2回ほど働いています。
(北川さん)
山本さんは技術力だけでなく、その真面目さと向上心の強さが際立っています。職人の世界に初めて飛び込んできましたが、この仕事は真面目さと向上心がないと続きません。そういう意味では、とても適性がありますね。
ぼくも率直に思ったことを話すようにしています。数週間前にぼくが大きな失敗をしたときも、1週間ほど落ち込んでいたことを伝えました。それだけ本気で仕事に向き合っていることを理解してほしかったからです。
失敗した後のリカバリー方法なども、近くで見てもらうことで、ものづくりに対する姿勢や考え方を共有できています。若い職人とは違い、年齢が近いこともあって、より深い理解が得られているように感じます。
(山本さん)
ただ、趣味と仕事では全然違いましたね。趣味なら「できた」で終わりですが、仕事となると徹底的に追求します。格闘技で言えば、練習と実戦の違いのようなものです。
━━北川さんの印象はいかがでしたか?
(山本さん)
最初の印象は、「変わった人だな」という感じでした。流している音楽も聞いたことのないような曲で、自分が経験したことのない話をされます。ドームテントへの興味と同時に、北川さんという人にも興味を持ちました。
━━お二人の関係性がとてもステキですね。
(山本さん)
北川さんは絶妙なタイミングで声をかけてくれます。作業に没頭しすぎて行き詰まりそうなときに、さりげなく話しかけてくれる。そうやって肩の力が抜けるようにしてくれます。
(北川さん)
山本さんは真面目な性格なので、たまには息抜きが必要ですからね笑
工業用ミシンの音を聞いていて、音が止まったときは「何か考え込んでいるな」と分かるので、さりげなく声をかけるようにしています。
━━仕事で不安を感じることはありますか?
(山本さん)
北川さんに任されたからには、作業が止まってしまうことがあっても、自分なりに何とかします。できないことはハッキリ言う。そういう気持ちで取り組んでいるので、特に不安は感じません。
(北川さん)
ぼくと山本さんは基本的に別々の作業をしています。でも作業の前に、動画で全てのポイントを確認しながら一緒に進めていきます。山本さんは疑問に思うことがあれば、「ここはどうでしょうか?」と必ず先に確認してくれます。わからないままスタートするのではなく、きちんと理解した上で作業に入ってくれるので、本当にありがたいです。お互いを理解し合い、ものづくりに対する考え方も共有できているからこそ、完全な信頼関係が築けています。
山本さんが来てくれるようになってからは朝・昼・帰り際と、それぞれ1時間ほど話をするようになりました。仕事だけでなく、お互いの考え方や生活なども共有しています。一方的に話をしてしまうこともありますが、ぼくの考えを理解してもらいたい。そのためのコミュニケーションは本当に大切だと考えています。
週4日の勤務形態にしているのも長く続けてほしいからです。ただ働く時間を長くして、3年で辞めてしまうより、10年・20年と続けてほしい。将来は山本さんに自分のブランドを立ち上げてもらって、クラフト作品を出品したり、自分で作ったものを販売したりしてほしいという思いもありますね。
(山本さん)
面接に来たとき、北川さんは会社の将来についてだけでなく、「自分がどうなりたいか?」という話をされました。見ず知らずの人間にそこまで気遣ってくださって、戸惑いもありましたが、一緒に仕事ができたらいいなと強く感じました。
ほかの企業では、会社の方針は説明されても、「あなたも成長してください」とか「あなたの人生も豊かになるように」といった言葉をかけてもらえることはありませんよね。
━━仕事でどんなときに達成感を感じますか?
(山本さん)
北川さんから「技術が上がってきている」と言っていただきましたが、まだ実感できません。自分でも成長を感じ、周りからも認められたら、喜びを感じられるのかもしれません。今はまだ半信半疑で、「これでいいのかな?」と思いながら作業しています。
(北川さん)
山本さんは、ぼくとは作業スピードも違いますが、それは経験の差です。技術は確実に身についていて、最初の頃のような怖さもなくなってきました。細かい作業が得意で、ぼくの苦手な部分を補ってくれています。
量産の仕事になると時間との勝負ですが、目標タイムのクリアも技術の向上につながっていくはずです。目をつぶっても作業ができるくらいになってほしいですね笑
━━今後の目標を教えてください
(山本さん)
まずは与えられた仕事をきちんとこなすことです。その先には、自分でなにか始めることもあるかもしれませんが、今はまだ考えていません。
自分にとって、週4日はここで働き、残りは別の仕事をしている働き方は合っています。ホームセンターだけのときは、なにか物足りなさを感じました。でも、今はここで学んだことが向こうでも生かせることが多いです。
両方の仕事をすることで、いい相乗効果が生まれているように感じます。息抜きや視野を広げる時間として、とても大切だと感じました。違う場所で働くことで、出会う人も話す内容も変わってきます。
━━これから新しく入社される方に向けてメッセージをお願いします
(山本さん)
工業用ミシンをゲームでたとえるなら、RPGやアクションゲームに出てくるような初級の敵です。最初は怖く感じても、すぐに慣れます。その先にある本当の課題に向き合える人になってほしい。一緒に成長できる仲間との出会いを楽しみにしています。
会社名 | Laugh Work Machine(ラフワークミシン) |
所在地 | 兵庫県加東市西垂水404-4 |
事業内容 | ドームテント製作 |
電話番号 | 090-5682-8483 |
代表者 | 北川 勝彦 |
SNS | https://www.instagram.com/laugh_work_machine |
※本記事に記載されている個人的な内容については、ご本人様の同意を得たうえで掲載しております。