大西コルク工業所|祖業のコルクを礎に、発泡スチロール、そしてプラスチック事業に参入。社会に必要とされ続ける企業をめざして

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祖業のコルクを手放し、手に入れた持続的発展

株式会社大西コルク工業所の歴史は、その社名が物語るようにコルクの製造に始まる。しかし90余年の社歴の中でコルクを手がけていたのは30年ほど。以降は発泡スチロールの成形にいち早く取り組み、プラスチック事業にも参入するなど、時代の変遷とともに生産品目を変化・拡充させながら業容を拡大していった。

現在は、2016年に代替わりした四代目の大西洋輔社長の陣頭指揮のもと、働く環境整備にも力を注ぐ。その結果、地方企業の採用難が深刻化する中で応募が増加し、地元人材の獲得につながっているという。

2028年に創業100周年の節目を迎える同社。守りに入るのではなく、新たな事業開拓や組織づくりに取り組んできた歴史をたどることで、老舗企業がいかに社会に必要とされ、持続的に発展を続けてきたのか、その手がかりを得られるはずだ。

創業は昭和初期、コルク事業で業績拡大

大西コルク工業所の創業は、元号が昭和に変わって間もない1928(昭和3)年4月。初代大西甚之介氏が現加東市のやしろ商店街の一角で大西甚之介商店を開業したことに始まる。創業当時はガラス瓶に使うコルク栓や蓋裏のパッキンなどを製造し、大阪の製薬会社に卸していた。

戦後、甚之介氏は1948年5月に有限会社大西コルク工業所を設立し、炭化コルク板の製造を開始することになった。以降、大阪や福岡に営業所を開設し、1957年には株式会社大西コルク工業所に組織変更するなど順調に業績を伸ばしたが、すでに甚之介氏はコルクに限界を感じていた。代表取締役社長の大西洋輔氏は背景を説明する。

「理由は原材料の仕入れです。コルクの製造に不可欠の天然木材が日本で手に入りにくくなったのです」

発泡スチロールの可能性に賭けた初代の先見の明

そこで甚之介氏が目を付けたのが発泡スチロールだった。1950年にドイツで開発された発泡スチロールは98%が空気と軽く、断熱性や緩衝性に優れる。その新素材がコルクの代替品として冷凍・冷蔵庫などに使われ始めたのを知った甚之介氏は、1958年に発泡スチロールの成形に乗り出したのだ。

発泡スチロールの原料が国産化されたのは1959年。同社が手がけるより1年後である。国産化に先駆けて、どうやって発泡スチロールの生産に踏み切れたのか。

「初代はドイツから原料ビーズを輸入し、独自に生産を始めたのです。コルクと発泡スチロールの生産ではいずれもボイラーを使うなど、製造設備が似通っていた点も早期の品目転換を後押ししました」

以降、大西コルク工業所は祖業のコルクからは手を引き、発泡スチロールのパイオニアとして業界をけん引する企業へと育っていく。新素材の可能性にいち早く気づいた初代の先見の明と実行力が、持続的な発展を手繰り寄せたのだった。

60余年の歴史で築いた成形技術と生産物流のネットワークに強み

現在、同社の発泡スチロールは魚箱や野菜箱などの保冷箱(包装箱)をはじめ、空調機・調理器具など家電製品の緩衝材、あるいはエアコン・冷蔵庫など家電製品の機能部品として活躍している。

「何よりの強みは、60年以上の歴史で培ってきた成形技術です。人が入れるほどの大きな保冷箱からアイスクリームを入れるボックスまで、あらゆるサイズのあらゆる形状を多品種少量生産で対応します」

さらに国内すべての原料メーカーとの取引によって多様な品種や発泡倍率に対応できるほか、独自の生産・物流ネットワークも大きな強みだ。

生産体制については加東市の本社工場を軸に大阪工場、鳥取工場、浜田工場(島根)と協力工場を結んで西日本をくまなくカバーするネットワークを整備。さらにグループ内の運送会社をフルに活用することでスピーディかつ正確な物流体制を実現している。

「発泡スチロールは空気を運んでいると揶揄されるほど軽くてかさばる素材。なるべくお客様との距離が近い場所で生産し、即納できる体制を目指した結果です」

成形技術を活かしてプラスチック事業に参入

製造設備という経営資源を有効活用し、コルクから発泡スチロールへの転換を果たした大西コルク工業所。次なるチャレンジは1971年、二代目社長の大西五一氏の時代に訪れた。発泡スチロールの成形技術を活かすことで、プラスチック射出成形事業を始めたのだ。

二代目社長 大西五一氏

「なかでも得意分野は透明樹脂の製造です。透明なのでごまかしがきかず、異物混入を防ぐために高度な品質管理が求められます。プラスチック分野では後発ですが、他社が敬遠する難しい製品を手がけることで信頼を得てきました」

大西社長がそう話すように、冷蔵庫の棚やトレイといった透明樹脂製品をはじめ、炊飯器の内外装や液晶・タッチパネルのキャビネットなど、薄板状から曲線状まで多品種少量で幅広く応えられる技術開発力と品質管理力に強みをもつ。

三代目が築いた盤石な財務基盤。受け継いだ四代目が進める環境づくり

1998年に現会長の大西豊氏が三代目の社長に就任し、大阪工場の全面リニューアルを決断したほか、財務の強化を図ることで企業体質を盤石なものにしていく。初代と二代目が事業を拡げ、三代目が安定基盤を築いたことで、100年企業を目指せる土台ができ上がったといえよう。

そして2016年に現社長の洋輔氏が四代目を継承し、力を入れてきたのが働く環境整備だ。大西現社長は「背景に人材採用の難しさがある」と、地方のものづくり企業に共通する課題を打ち明ける。

「当社も例にもれず、求人を出しても人が集まらない状況が続いていました。求人票には限られた情報しか載せられず、たった1、2枚の資料で他社との差別化を図ることに限界を感じていたのです」

そこで基本給や休日の数以外の〝光るもの〟を求人票に載せられるよう、取り組んでいくことになった。

ユースエールの認定取得で地域の人気企業に

まず着目したのは「ユースエール認定制度」だ。これは若者の採用や育成、雇用環境の整備に積極的に取り組む中小企業を厚生労働大臣が認定する制度のこと。正社員の離職率20%以下、時間外労働60時間以上の正社員が1人もいないこと、有給休暇の取得率が平均70%以上(詳細は厚生労働省HP参照)など複数の認定要件が定められている。

認定を継続するためには毎年申請し直す必要がある厳しい制度だ。大西コルク工業所では2018年に準備に着手し、有給取得の社内理解や生産調整の仕組みをつくるなどして2019年に認定取得。以降、毎年更新中で、求人に良い影響が出ているという。

「ハローワーク管轄内で初の認定取得企業だったこともあり、人材を積極的に紹介してもらえるようになりました。高卒求人の職場見学には毎年1名来るかどうかの状況から一転、例年の倍以上の採用につながりました」

今いる社員の働き方を改善したい

同じく2019年には、女性の活躍推進に関する状況などが優良な企業として、兵庫労働局より「えるぼし認定」も受けている。

これらの取り組みの結果、現在は有給取得率74.1%、女性の育休取得率100%、男女比率は男性6:女性4、平均年齢41.5歳(いずれも2021年4月現在)と、若手や女性の活躍が数字からもうかがい知れる。

「こうした取り組みの背景には、今いる社員の働き方を良くする狙いがあります。今いる社員が働きやすい環境になれば、就職先を探している人が入りたい企業になる、そんな信念で取り組んできました」

そう力を込める大西社長の言葉を裏づけるように、独自のユニークな手当制度も充実している。一例をあげると、禁煙(ノンスモーカー)手当や、ICカードによる食事補助制度、ドライブレコーダー補助など。地域や同業他社との差別化を図った福利厚生や働き方改革で企業の魅力が高まり、新たな人材採用につながる――そんな好循環が生まれている。

求む! 自分で考え仕事のできる人材

求める人材像を大西社長に確認すると、「自分の頭で考え仕事のできる人材」との答えが返ってきた。ここ3年で高卒人材を中心に20人を採用している同社。2022年度には、地元の社高等学校で開催された「地元企業の魅力を学ぶ会」に参加し、地元企業が地域経済に果たす役割や魅力を話した。

「加東市には魅力的な企業がたくさんあると知ってもらい、大学進学で外に出たとしても、Uターンで戻ってきてほしい、そんな思いをお伝えしました」

地域や社会から選ばれる会社であり続けるために

地元加東市とのかかわりについて問いを向けると、「ふるさと納税によって地元の加東市や当社ゆかりの地域への貢献を改めて意識するようになりました」と大西社長。

「加東市のふるさと納税の人気返礼品を生産委託で手がけるようになってから、事業を通じて地域に貢献する意義を再認識するようになりました。そこで2022年度には地方創生応援税制(企業版ふるさと納税)を活用し、社員を受け入れている鹿児島県奄美市と、グループ会社のある鳥取県に寄付をおこないました」

日本は2050年までにカーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)を達成する目標を掲げるなか、大西コルク工業所では自家消費型太陽光発電システムを導入して工場内で使用する電力の一部を補うなど、持続可能な社会の実現に真摯に向き合っている。

「パイオニアとして業界をけん引してきた発泡スチロールは身近な存在になりましたが、需要は1990年頃をピークに半減しています。しかし今後も発泡スチロールやプラスチックはゼロにはならないと思っています。クリーンエネルギーを使った生産体制を強化するとともに、省エネルギー対策や廃プラスチック問題にも取り組み、これから先も地域や社会から選んでもらえる企業であり続けるために努力していきます」

経営者紹介

代表取締役社長 大西洋輔さん

任された大阪工場のリニューアル。救われた先代の言葉とは?

地元の社高校を出て神戸の大学に進学後、取引先の化学メーカーに就職しました。しかし社会人1年目のあるとき、先代の父から「帰ってきて大阪工場のリニューアルを手がけてほしい」と言われたんです。

生産効率の向上を目的に3棟のうち2棟を取り壊し、新工場を建設する大規模な計画でした。私はお世話になった会社を1年半で退職し、24歳で大西コルク工業所に入社。大阪府摂津市の大阪工場に配属となり、リニューアルを任されることになりました。

最初の1年は現場の社員とぶつかってばかりでした。現場にとっては、社長の息子が突然やって来たわけです。しかも社会人2年目の若造です。何をやるにも現場から反発され、それに対して私も引かない、そんな状態が続きました。

救われたのは、先代のひと言です。電話で相談した先代から「敵ばかりつくるな。味方をつくれ」と言われたんです。以降、「自分でやるしかない」と覚悟を決め、新しい環境のもとで働いてくれる人を味方につけ、自分の考えで組織を動かせるようになっていきました。

「社長はお前。最後はお前が決めろ」

先代にもうひとつ、感謝していることがあります。それは細かな指示を一切せず、自由に動ける環境を与えてくれたことです。大阪工場時代には肩書きもなかったので、ひとつの仕事に限定せず、現場から営業、生産管理まで、自分の思うように幅広く業務を覚えることができました。

2016年、35歳の時に、先代から四代目のバトンを受けとりました。中小企業の事業承継では、いわゆるダブル代表の難しさを耳にしますが、先代は取締役会長に就任し、代表権は私に一任してくれました。形式だけの話ではなく、何か相談しても「社長はお前。最後はお前が決めろ」と、温かく見守りつつも私を信頼し、判断や決断を任せてくれています。

四代目として会社を守り継ぐ覚悟

2021年度の3月決算では、中堅・中小企業の財務の安定度を外部的に評価する「日本SEM格付」と「JCR中堅・中小企業格付」で最高評価の「aaa」を獲得しました。JCR中堅・中小企業格付は2015年3月期より7期連続、日本SEM格付は2016年3月期より6期連続で同評価をいただいています。

なかでもJCR中堅・中小企業格付に初めて申請した2015年度は、先代が社長時代の決算書をベースに「aaa」の評価をいただきました。つまり先代がつくり上げた会社が外部機関から財務的に高く評価されたことを意味し、私は財務基盤が整った状態で引き継がせてもらえたわけです。

世代交代後、先代は周りの方々から「社長を譲って元気になったな」と言われていました。それだけ重圧を一身に背負っていたのだと思います。今度は私が大西コルク工業所を守り継ぐ番です。歴史を途絶えさせないため、今後も設備投資や人材投資を続け、地域そして社会に必要とされ続ける企業に成長させていきます。

従業員紹介

大東健也さん

工場見学で成形機に出合い、入社を決意

小野工業高校を卒業後に新卒で入社しました。工業高校なので就活ではものづくり企業を見て回り、大西コルク工業所の工場見学をした際に出合ったのが発泡スチロールの成形機だったんです。高校では旋盤加工を学びましたが、成形機という新しい機械でいちからチャンレジしたいと思い、大西コルク工業所の門を叩きました。

入社後1年間は倉庫や仕上げの工程を経験したのち、2年目から発泡スチロールの生産を手がけています。成形加工の工程は大まかに原料投入、加熱、冷却、離型に分かれます。加工プログラムを自分なりに用意はしているのですが、原料の状態などその時々の条件で感覚的に調整する必要があるのでとにかく悩みます。

たとえば金型から製品を取り出す離型の工程では、エアーとピンのプッシュで成形後の製品を押し出すわけですが、エアーが弱いと金型から離れないし、強いと歪んでキズがついたり、ピンで突き刺してしまったり。ですが試行錯誤の結果、うまく取り出せたときにはやりがいを感じますね。

「自分の得意な仕事」が見つかる会社

最近は後輩に教える機会が増えてきました。もちろん後輩も悩みながら成長していますが、教える自分はもっと悩んでいるのではないかと思うほどに日々勉強です。でも工夫の余地が多くある点がこの仕事の何よりの面白さです。

発泡スチロールの成形の仕事は、ものづくりを自分なりに突き詰めたい人に向いているのではないでしょうか。ただし当社には、ほかにもプラスチックの製造や仕上げの工程、倉庫管理など、いろんな仕事があります。だから自分の得意なことが見つかる会社だと思いますよ。

周りを見られる人材を目指して

この仕事は蒸気を使うので夏場はとにかく暑いです。幸い、私は家が近いので、昼休憩時にシャワーを浴びに帰っています。これも地元で働く良さのひとつですね。ほかにも、家族や友だちの近くで働ける良さもあります。仕事でしんどいとき、そうした存在が近くにいる安心感があります。

今年(2022年)で働き始めて5年になります。今後は中堅として、現場をまとめる役回りを求められる機会が増えてくると思います。これからは周りを見られる人材に成長したいですね。そのためにも、何より自分のレベルアップが不可欠。まずは自分がもっと成長できるようにがんばりたいと思います。

文・写真/高橋武男

令和3年度 加東市商工会企業紹介PR事業

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