宮下木材|製材・建築・リサイクルの3本柱で事業展開。時代の流れを読み、環境経営に注力して業容を拡大

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時代の要請に応え続けて70余年

大阪府と山口県をつなぐ中国自動車道のひょうご東条インターにほど近い加東市新定地区。株式会社宮下木材はこの地で戦後間もない1946(昭和21)年8月に創業し、70余年の歴史を重ねてきた。

モットーは、つぎのひと言。

「あらゆる木をリサイクルします」――。

木材会社なのに、まるでリサイクル業者のようなキャッチコピーだ。その意味を確かめるべく取材を進めると、祖業(そぎょう)の製材事業から派生して建築事業、そしてリサイクル事業へと、時代の要請に応じて事業領域を拡大してきた同社の歴史が見えてきた。

その道のりは、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)への取り組みが求められるあらゆる企業の参考になるはずだ。

「宮下木材を絶やしてはいけない」

株式会社宮下木材のルーツは戦前にさかのぼる。木材需要が旺盛だった昭和初期、関西一の総合木材商社が兵庫県神戸市にあった。社名は「宮下木材株式会社」。法人格が前か後かの違いだけで名称自体は現在と同じだ。

「この神戸の旧・宮下木材が酢酸(さくさん)を製造する拠点として、加東市の新定地区に工場をつくりました。その新定工場が当社の前身です」と浮村俊夫社長は説明する。

旧・宮下木材の新定工場は戦時中、木製飛行機を製造する軍需工場の役目を果たした。そして終戦後は元の酢酸工場として操業を再開するはずだった。

「ところが戦後の混乱期に密約が結ばれ、旧・宮下木材の神戸本社は大阪の永大産業に吸収合併されてしまったのです」

そこで立ち上がったのが浮村社長の父、浮村義衛(よしえ)氏だった。

「宮下木材を守りたい――前身の会社で働いていた父はその一心で有志を募り、当時の拠点だった神戸市から加東市に移り住み、新定工場を継承するかたちで新たに宮下木材を立ち上げました。社名をそのまま引き継ぎ、法人格を〝まえかぶ〟に変えて再起を誓ったのです」

創業に携わった10人ほどの有志のうち、最終的に残ったのは2人。初代代表に就いた義衛氏と、現在同社の専務取締役を務める山﨑正博氏の父、山崎実氏だ。経理畑を歩んできた義衛氏に対して、実氏は営業を担当していた。守りの経理と攻めの営業。二人三脚で新生・宮下木材をスタートさせたのだった。

「東条地域は松の産地だったので、地松材を豊富に仕入れることができました。そこで地松材を製材・加工し、神戸の木材問屋や市場に販売する商売から始めたのです」

先代の働く姿を子どもの頃から見てきた浮村社長は宮下木材の創業事業を説明しながら、父の仕事を手伝っていた大学時代の思い出を語る。

「当時アルバイトで神戸や芦屋のあたりをトラックで走っていると、〝宮下木材〟という社名を見て『懐かしい名前やなあ』と言われたものです。前身の宮下木材の名が阪神間でそれだけ知られていたということです」

地元密着経営にシフトし急成長

大学卒業後の数年を経て、浮村社長が家業に入った昭和50年頃は高度経済成長が終焉を迎え、安定成長に向かっていた時期。木材需要は落ち着き、神戸の木材問屋や市場への販売は利幅が薄くなっていた。

そこで宮下木材の将来を見据えた浮村社長は販路改革に動く。「神戸で利益が出ないなら、地元密着で商売しよう」と発想を転換し、地元の業者に木材を直接売ることにしたのだ。

「ところが宮下木材という名は神戸では知られていても、地元ではまったくの無名でした。そもそも私たち自身も業者さんがどこにいるのか分からない。そこでタウンページを繰りながら地元の工務店や大工に片っ端から営業をかけていったんです」

東条地域を始めとした地元エリアは浮村社長、小野市や三木市など周辺エリアは現専務取締役の正博氏がそれぞれ担当し、ローラー作戦で地元開拓に奔走。その努力が実を結び、地元密着の経営にシフトしてからの10年で売り上げは3億円から10億円になった。

成長を支えたのが製材事業だ。製材とは、原木から角材や板材などをつくる工程をさす。1本1本の木の性質を見極めながら柱や梁、板などに適した寸法に効率よく切り出さないといけない(これを木取りとよぶ)。宮下木材はこの製材技術を高めることで地元の業者から信頼を得ることができたのだ。

製材技術を活かすことで、地元の大工を通じて木材を施主に直接販売できたのも成長要因のひとつ。

「とくに松は見極めが難しいので、大工と施主さんとともに山に入ることが多かったですね」と浮村社長。

施主が気に入った木を大工に見てもらい、山から伐り出した丸太を大工の指示どおりに製材加工する。そうすることで施主はお気に入りの木の家に住めるし、大工は思い通りの用材で木を組める。宮下木材は顧客に木材を直接提供することで利幅を確保できる。

製材技術があるからこそ、売り手も買い手も作り手も、みんな満足できる三方良しの商売が成立したわけである。

木材需要が減衰し、3つの選択肢から新事業へ

昭和50年~60年代は木材の売り上げで業績が伸びた時代だった。その後1986(昭和61)年に現社長が二代目に就任し、元号が平成に替わるころに転機を迎える。無垢の木をあまり使わない住宅の増加で木材需要が減衰し、新たな事業へのチャレンジを迫られたのだ。

「プレカット工場に移行するか、集成材工場に移行するか、工務店を発足するか、この3つの選択で悩みました。結果として1991年に工務店の株式会社宮下を設立し、木と自然素材にこだわった家づくりに取り組むことにしたのです」

住宅に既製品の内装材が多く使われ、シックハウス症候群が社会問題になっていたのも工務店発足のきっかけになった。シックハウス症候群とは建材などから発生する化学物質で高気密化された室内の空気が汚染され、健康に影響が指摘される症状をいう。

「住宅に無垢の木が使われなくなってきていることに加えて安全な住まいとは何かを模索した結果、木造住宅の普及と製材所の生き残りをかけて宮下を設立しました。当時まだ珍しかった兵庫県産木材をふんだんに使い、ご家族が安全・安心に暮らせる家づくりをスタートさせたのです」

さらに宮下木材でも建築事業に乗り出し、公共施設や福祉施設の建築・リフォーム、寺社仏閣の新築・改修工事など、材料の調達から責任施工まで一貫しておこなうようになった。

ダイオキシン問題に直面し、環境経営にシフト

宮下の設立や建築事業の立ち上げで木材・建材の商流は安定したが、製材工場の新たな問題に直面するようになった。1998年、野焼きやごみ処分で発生するダイオキシン問題がメディアで大きく取り上げられたのだ。当時、宮下木材も製材で生じる木くずを工場内焼却炉で処分していたので、改善するよう保健所から指導が入った。

今となっては、宮下木材が環境経営に力を入れる起点となった出来事といえる。

「というのも保健所の指導以降、自社工場内で出た木くずを償却せずに再資源化できる方法を模索・試案するようになったからです。そしてあるとき、友人から『木粉を使用した合成木材の製造を始めたいから協力してほしい』との話が舞い込んできました」

自社廃棄物を焼却せずにリサイクルできれば、将来、環境に大きく貢献できるのでは――。

友人の話にヒントを得た浮村社長は大規模投資を決断する。2000年に2億円の設備投資をおこない、木くずを再資源化できる「ゼロエミッション工場」を建設したのだ。

さらにその2年後の2002年には「産業廃棄物木屑中間処理場処分業」の許可を取得。以降、後述の粉体事業に取り組み、サーマルリサイクル(焼却再生型)ではなく、マテリアルリサイクル(資源循環型)の再資源化工場として業績を伸ばしていく。

「とはいえ」――と、浮村社長は表情を引き締める。

「新しい事業を軌道に乗せるのは並大抵の努力ではかないません。2億円の投資を回収してから利益を出すまでに11年かかりましたから」

この言葉から、環境に本気で取り組んできた経営者としての覚悟と矜持を感じたのだった。

廃木材の再利用で誕生した意外な商品とは?

環境経営で成長する要因となったのが粉体の製造である。「粉体」とは文字どおり細かい粉のことで、宮下木材の事業では、使いみちのない木くずをミクロン状に砕いたパウダーをさす。

当初は再資源化した粉体を何に使えるのか分からなかったが、浮村社長は用途を試行錯誤する中で意外な商品に着目する。お線香の原材料だ。

「そこで線香製造のまちとして知られる淡路島に渡り、兵庫県産の廃木材を使った粉体でお線香をつくりませんかと提案して回ったのです。なかなか理解を得られないなか、十数件目にして興味を抱いてくれたのが線香やお香を手がける薫寿堂(淡路市)さんでした」

以降、兵庫県産100%のヒノキ残材や竹をもとに線香の原材料となる粉体を製造し、薫寿堂に提供。同社が商品開発に取り組んだ結果、森林環境の改善、地球温暖化防止に貢献する〝地球にやさしいお線香〟「エコ宝」が誕生した。このエコ宝は2007年10月、線香のエコマーク認定を日本初で取得している。

森林組合と協業し、あらゆる木材を粉体化

「自社の製材工場から生じる木くずを有効活用できないかと考えたのが環境への取り組みのきっかけでした。それが現在は森林組合と協業し、廃材や間伐材の提供を受けて粉体の製造に取り組んでいます」

浮村社長の言葉どおり、現在はあらゆる木材を粉体化し、ニーズに合わせた製品開発に力を注いでいる。

粉体の製品化ではお線香のほか、木粉(55%)に廃プラスティック(45%)を融合させた木質材料も製造している。木質材料は木の質感をもちながら腐食しない特性があり、近隣では小野市のうるおい交流館エクラのデッキとして使われるなど、公共建築物で採用されているという。

「あらゆる木をリサイクルします」――冒頭で紹介したモットーは、こうした経緯を経てたどり着いたわけである。

環境への取り組みこそが使命

2007年には、バイオマス(動植物などの生物からつくり出される再生可能な有機性のエネルギー資源)を利活用している同社の取り組みが評価され、廃棄物ゼロを目指す兵庫県の施策「『農』のゼロエミッション」の一環として「ひょうごバイオマスecoモデル29号」として登録された。

現在は「兵庫県木材利用技術研究会」に参加し、森林環境の保全活動に取り組む。そのほか「ひょうごエコタウン推進会議」(2003年12月設立)にも参加し、循環型社会の形成に向けた取り組みを支援している。

最後に今後の展望を聞くと、浮村社長は「環境貢献企業への取り組みをさらに強化していきたい」と意欲的だ。

「SDGsは発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むべき普遍的な活動です。当社のようなものづくり企業も同様に、自分たちの事業にSDGsの活動を取り込んでいく意識と行動がより求められていると考えます」

SDGs は17のゴールと169のターゲットで構成される。宮下木材では「③すべての人に健康と福祉を」「⑦エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「⑪住み続けられるまちづくりを」「⑫つくる責任つかう責任」「⑬気候変動に具体的な対策を」「⑮陸の豊かさも守ろう」を目標に設定。

断熱材にホルムアルデヒドに配慮した接着剤を使用しない「デコスドライ工法」(2007年取得)を採用したり、2012年にJAS認定を取得して合法木材供給事業者として責任ある企業活動を愚直に推進したりするなど、自社で取り組める活動に専念している。

「加東市に期待するのは、行政としてSDGsに率先して取り組み、民間企業の環境に対する意識を高めてもらうことですね」

浮村社長のメッセージは、20年以上にわたり環境経営に取り組んできたからこその提言といえるだろう。

「今後の企業の活動は環境保全を考えずには成り立ちません。そのために、いかに山を整備し、間伐材などを有効利用していくか――当社に課せられた使命だと考え、今後も環境経営に真摯に向き合っていきます」

展望を語る浮村社長の言葉に迷いはない。

経営者紹介

株式会社宮下木材 代表取締役 浮村俊夫さん

「俺なら家を継ぐ」――上司の言葉で決断

関西大学工学部土木工学科を卒業後、大阪の鉄骨・橋梁メーカー、片山ストラテック株式会社の設計1課に就職しました。面接時には「2、3年で退職して実家に帰るので橋梁は?」と聞かれましたが、「この会社に骨をうずめる覚悟で働かせてください」ときっぱり答えました。

というのも家を継ぐつもりはなかったからです。苦労して働く父の姿を見ていたので、安定したサラリーマン生活に憧れがあったんです。

ところがあるとき、父が「後継者がおらへんのなら、これ以上の融資はできないと銀行に言われた」とぽつりとつぶやきました。

継がない約束で家を出ていましたが、父からそう言われるとやはり気になります。勤務先の先輩に相談すると、意外な言葉が返ってきました。「浮村、俺やったら家に帰るで」とおっしゃるのです。「この会社におってもしょせんはサラリーマン。家で仕事したら可能性は無限にあるやろ」と。

先輩の言葉に納得できなかった私は課長にも相談しました。すると、返ってきたのはやはりこのひと言。「俺やったら家帰るわ」

2人ともそうおっしゃるのなら……と、家業を継ぐことを自分なりに真剣に考え始めたときのことです。懇意にしていた得意先の息子さんが家業を継いだと聞き、迷いがなくなりました。「俺も帰ってがんばってみよう」と決断したんです。

「骨をうずめる覚悟で……」と言った手前、会社には申し訳ない思いでしたが、常務の自宅に訪問し、謝って辞めさせてもらいました。

信用を残してくれた先代に感謝

宮下木材に入社後、父に言われて今でも心に残っている言葉があります。

「俺は会社にカネは残されへん。でも信用は残しておく」

この父の言葉のとおり、昔も今も宮下木材を悪く言う人はいません。会社の信用は一朝一夕に築けるものではありませんから、今でも本当に感謝しています。

従業員の働く環境整備にも注力

従業員に求めるのは、自分の持ち場できらりと光ってほしいということです。当社は、意欲さえあればチャレンジできる環境です。やりたいことに積極的に取り組んでほしいですね。

SDGsの活動に取り組む当社では、働く環境づくりにも力を入れてきました。2021年11月には、「ひょうご仕事と生活のバランス認定企業」として登録されました。これは「仕事と生活の調和」実現推進に取り組み、一定の成果があった企業・団体を認定する兵庫県の制度です。

当社が認定されたポイントはつぎのとおりです。

  • 半年に1回、全従業員と社長が個人面談を行い、会社業績等を共有するとともに、各人の業務を見直すことにより、モチベーションアップを図っている。
  • 月1回、部門ごとの連絡調整会議及び部門長会議を開催し、業務進捗状況の把握、業務負荷の適正化・平準化を図っている。
  • 子育て世代にやさしい半日有給休暇制度を実施し、有給休暇取得を促進している。
  • 仕事と育児の両立を図るため、経験豊かな従業員を相談窓口とし、悩みや問題点の解決にあたっている。
  • 毎年の社員旅行と餅つき大会、また月2回の全従業員参加の昼食会を実施し、社内コミュニケーションの円滑化を図っている。

5つ目の昼食会は、2021年6月に完成した休憩室で実施しています。

地域の飲食店のお弁当を全従業員に支給し、皆で和気あいあいと昼食の時間を共にすることで親睦を深めてもらいたいのです。

今後も環境保全の取り組みはもとより、従業員一人ひとりにとって働きやすい環境、ワークライフバランスの向上をめざしていきます。

従業員紹介

株式会社宮下木材 粉体事業部 藤次望亜奈さん / 上田竜也さん

――宮下木材に入社したきっかけを教えてもらってよろしいですか?

藤次望亜奈(以下、藤次):宮下木材でお世話になってもう9年目になります。入社して感じたのは粉体事業部の働きやすさです。私は子どもがふたりいるのですが、部下思いで気さくな久山部長を始めとした事業部の皆さんがフォローしてくださって。とてもありがたく思っています。

上田竜也(以下、上田):私は入社してまだ10か月と宮下木材の中でいちばんの若手です。浮村社長と久山部長に面接をしていただき、社内の雰囲気がとても良く、何より長く勤められる営業職だと感じたのが入社を決めたいちばんの理由です。

というのも前職では小売りの販売をしていたのですが、常にノルマに追われる日々でした。粉体事業部の営業職は、先達の方々が築かれた取引先様との関係性を重視した営業が中心です。モノを売り続けるより、関係性を深める営業に魅力を感じたんです。

――おふたりの仕事内容を具体的に教えてください。

藤次:入社当時は事務や受付が中心だったのですが、現在は営業サポート業務がメインですね。補助金などの申請業務から自社サイトやブログの更新、販促物の制作まで、興味のあることも含めていろんな仕事をさせてもらっています。

さらに粉体事業部ではペレットストーブ(木質ペレットを燃料とするストーブ)を販売していることもあり、石油機器技術管理士の資格を取得し、ペレットの取り付けからメンテナンスまでおこなえるようになりました。その他、伐採材の薪を販売したり、新商品開発にチャレンジさせてもらったりと、もはや自分でも把握しきれないほど(笑)の幅広さです。

上田:私はおもに営業の仕事です。といっても何か特定の商品を販売するというより、先ほどお伝えしたように、お付き合いのあるゼネコン各社や地元工務店、建設会社、大工さんとの継続した取引が中心です。

具体的な業務としては、伐採工事や造園工事、解体工事などの提案から見積作成、工事の手配などです。粉体事業部では、伐採した森林や製造工程で発生する残材を粉体化しています。

――仕事のやりがい、働きやすさを感じるのはどのようなときですか?

上田:粉体事業部に入って感じたのは組織の風とおしの良さなんです。上下からの圧迫はまったくなく、プライベートの話もフランクにできますし、自分の意見を言いやすい雰囲気があります。チャレンジしたいことを伝えると認めてもらえる懐の深さがあるので、いい意味で退屈しない職場ですね。

藤次:浮村社長も含めて挑戦する人たちばかりの会社なんです。だから「やりたいことはある?」と聞いてもらえるし、「これがしたい」といえば背中を押してくれます。

普段の会話の中から「よしやってみよう」と新商品の開発につながることもよくありますね。ちょうど今、製材工場から出た廃材をもとに薪割り台を試作しています。これも「お客様がこんなものを要望されていた」といった会話の中から生まれた新商品の一例です。

――これから宮下木材でチャレンジしたいことは何ですか?

藤次:宮下木材をもっと多くの人に知ってもらうことです。木材販売というメイン業務に加え、新しい商品の開発や販売を通じて木の魅力を多くの方に伝えていきたいですね。

あと最近、薪などをお買い求めになる一般のお客様が多くなってきました。そこでお客様が迷わずに売場まで来ていただけるよう看板を設置したんです。

今度はその延長で、売り場をリフォームしてきれいにしたいですね。

上田:粉体事業部ではウォーターサーバーの代理店業務もおこなうなど、本業以外のチャレンジを認めてくれる会社です。まずは現在の営業職で一人前になるのが前提ですが、その先の目標として、新たな商品の販売にも積極的に挑戦したいです。

――最後に、宮下木材で働きたい人にメッセージをお願いします。

上田:当社には仕事のマニュアルはなく、自分で考え行動しなければなりません。ですからマニュアル業務や同じ作業を続けたい人よりも、自分の裁量で仕事をすることにやりがいを見出せる人に向いていると職場だと思います。

藤次:宮下木材を多くの方に知っていただくために、WebサイトやSNSでの発信に力を入れています。若手の方に来てもらって、感性を活かした発信やデザインのアイデアを提案してもらえると嬉しいですね。

***

☆ 株式会社宮下木材 スタッフ紹介 ☆

濱田健太さん

宮下木材に入ったきっかけは、転職支援サイトを利用した際に勧められたからです。右も左もわからない職種なので、正直不安もありました。ですが面接で話を伺ってみると、一からしっかり教えていただけるということで不安はなくなりました。

職種は営業職です。仕事内容は、おもに新築のプレカットや材料の発注、見積りなど、お客様である工務店さんや大工さんなど人と人とのつながりが大事な仕事です。

入社後、覚えることが多くて初めは大変でした。でも面接時に話を聞いたとおり、一から教えていただき、今では一人で営業をがんばれるようになりました。力仕事が必要なので大変な場面もありますが、自分の関わった住宅が完成したのを見ると、「この仕事を選んで良かったな」と思います。

ウッドショックの影響が大きく出ている状況です。こんな時だからこそ、宮下木材にしかできないことを考え売りにしていければと思います。

文・写真/高橋武男

令和3年度 加東市商工会企業紹介PR事業

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