商業デザインはアートじゃない
「デザインとは、お客様の事業に利益を生み出すためのもの」
そう語るのは、ティーダデザイン代表の村上琢也氏だ。ティーダデザインが日々取り組んでいるのは、様々な企業や事業者などが、営業や販売促進、情報の発信などを行うための商業デザイン。自らの感情や主張を表現するアートとは異なり、届けるべき人たちへ情報を伝え、目的を果たすために制作するものだ。
アーティスティックなクリエイティブイメージと、「お客様の儲けなくして、弊社の儲けはない」という商人(あきんど)としての気概とが同居する、ティーダデザインとは?
イラストからつながったデザイナーの道
もともと絵を描くのが好きだった村上氏。大学1年生だったある日、納得のいくイラストを描けたことがきっかけとなり、イラストレーターの道へ進もうと決心。2年生になり「就職活動をせず、フリーランスのイラストレーターになる」と両親に宣言した。当初は反対していた父親から、「在学中に描いたイラストが、一枚でも売れたら許そう」と言われたことで、本格的に制作をスタート。イラストを描き続け、仕事として請け負うための営業活動に励んだ。
「当時は、ヒップホップが流行している時で、ライブハウスやクラブの全盛期。イラストを持参して『営業』に足を運ぶうち、時にはアパレルショップから『オリジナルブランドに使う絵を描いてほしい』と頼まれることもあり、小遣いを稼げるようになっていました。」
そんな村上氏を、父親も応援。大学卒業後も、イラストを描きながら、ライブハウスやクラブが使用するフライヤーのデザイン制作などに取り組んだ。ところが「全然、食べていけなかったんです。知人から『デザイン事務所に入って、デザインの勉強をしろ』とアドバイスをもらい、1年後にデザイン会社へ就職しました。それ以来、イラストは描いていません。」
イラストレーターを諦め、デザイナーとして歩き出すことになった村上氏は、2010年、勤めていたデザイン会社を退職して独立し、大阪市内でフリーランスに。2014年、長男の小学校入学を機に加東市へUターンした。
その後、自宅を事務所にデザインの仕事を続けていた村上氏に、転機が訪れた。初めて社員を迎えることになったのだ。
ロゴマークからホームページまで、あらゆるデザインを手掛ける
「チラシの制作などをさせていただいていた取引先の農家から、『デザイナー志望なのに、うちで野菜の収穫をしているアルバイトがいる』と相談されたことがきっかけでした。『うちに来る?』と声をかけ、入社してもらいました。」
一人で自由気ままに仕事をしていたフリーランスから、社員を抱える経営者になり、売上が伸びるにつれ「意識も変わっていった」と話す村上氏。組織として事務所を整えるべく、2019年に現在の所在地へ移転し、さらに2022年には、2人のアルバイトスタッフが入社した。現在は、新型コロナウイルス感染拡大の影響から、完全リモートワークへ移行した社員と合わせ、4人体制で業務に取り組んでいる。
「大阪で働いていた頃から取引のある、広告代理店や大手デザイン会社からの発注をはじめ、様々な業種の企業や事業所との取引も増えています。特にUターン後は、所属している加東市商工会や中小企業家同友会での活動を通じ、多くの仕事を発注いただいています。」
ティーダデザインの仕事は、ロゴデザインから名刺、チラシ、ホームページ制作など多岐にわたる。企業や店舗の「顔」となるロゴデザインは完全オーダーメイドとして、丁寧な作成を心がける。一方、名刺は、他の名刺に埋もれてしまわないよう、名刺交換時に会話が弾むデザインを提案。チラシ制作では、一人でも多くの人の目に触れることを第一にデザインを考える。また、デザイン性を重視したものから、必要な情報の見やすさを優先させた仕様まで、用途やイメージに合わせたパンフレットやホームページなども、様々なニーズを考慮しながら制作する。
こうしたティーダデザインの業務に共通するのは、「お客様と共に創り上げていく」という意識だと村上氏は話す。
ホームページ
ロゴデザイン
「お客様には、出会って2分で笑ってもらいたい」
デザインの仕事の楽しさを尋ねると、クライアントに喜んでもらえる「達成感を味わえること」に加え、「『承認欲求』を満たせること」と笑う村上氏。
「走っているトラックのボディや、誰もが知っている製品のラベルに、自分がデザインしたロゴマークがついていたりすると、『すごいね』とほめられて嬉しくなります」と話す一方で、「自己満足じゃだめ」と表情を引き締める。
「お客さんに儲けていただけなければ、うちも儲けらないと思っています。商業デザインはアートではなく、お客さんと双方で創り上げていくものです。かわいい、オシャレ、カッコいいだけではだめ。弊社が制作したホームページで、集客ができていると言ってもらえることが一番の喜びです。」
そのために大切にしているのは、打ち合わせの相手に、「出会って2分で笑ってもらう」こと。
「お客さんとの距離を縮めることが、すごく大事だと思っています。発注するお客さん自身が、何が欲しいのかわかっていないケースも多いんです。どんなものを作りたいのかしっかりと把握するためには、腹を割ってくだけた話ができる関係になることが大切です。笑ってもらい、心を開いていただくことに、最も力が入ります。」と話す村上氏。打ち合わせが終わる頃には、「全部任せるわ」と言われることが多いと言う。
そんなデザイナーという職業に、「センスは必要ない」と言い切る。
デザインは、勉強と経験で究めるもの
「『センス不要』とは、私がデザインを教わった人に言われたことです。デザインは、99%の知識ですべてカバーできる、残りの1%にセンスを見せた人が「天才」や「アーティスト」と言われるようになるのだと。経験と技術は、一生懸命に頑張れば誰だって身につくものです。」
大切なのは、自分が目にするものを「どうやって作るんだろう」という意識で眺めることだと言う。例えば、駅に貼られたポスターを、「きれいな色を使っているな」「切り抜きの作業が少し雑かな」「どこかで目にしたことのある素材だな」といったように、デザイナーの視点で見ることだ。
「レイアウトやデザイン処理の手法など、お金を掛けなくても身の回りには、いろいろなところから情報を手に入れることができます。職業病になるくらい、たくさん見て考えてほしい。勉強を続け、経験を積むことで、たとえスローペースでも、確実に階段は登っていけますから。」
今、その階段を上り始めたスタッフと共に、取り組みたい目標を村上氏は温めている。
お客様の利益を生む“天才”集団を目指して
「経営革新計画(*)に採択された、『双子のための出産祝い』を、ネットショップで販売する事業を形にしたいと思っています。」
構想を練り始めてから、すでに5年。「今年こそ実現させたい!」と笑う村上氏。
そして、もう一つの目標が、ティーダデザインのスタッフの「ファン」をつくることだ。
「今の事務所は、ちょうどいい経営規模です。事業拡大ではなく、少数精鋭の集団として、ますます磨きをかけていきたいと思っています。お客さんから『○○さんにデザインをお願いしたい』と指名を受けられるって、デザイナー冥利に尽きると思うんです。お客さんの儲けにつながるデザインを生み出せる、“天才”集団『ティーダデザイン』として、スタッフたちが力を発揮できる環境を整えていきます。」
*経営革新計画:中小企業等経営強化法により「事業者が新しい事業活動を通じて、経営の向上を図ること」と定義された経営革新のための計画で、国や都道府県が承認するもの
経営者紹介
代表 村上琢也さん
人生の転機「師匠」との出会い
私には、「師匠」と呼んでいる人がいます。イラストレーターを目指し、自分が描いたイラストの売り込みに、大阪のまちを走り回っていた学生の頃、営業に飛び込んだライブハウスで出会いました。
当時、大阪城公園での路上ライブを中心に活動していたロックバンドのボーカルで、フリーランスのデザイナーでもある「面白い」人。縁あって、そのバンドのローディー(*)になり、楽器や機材の運搬からTシャツなどのグッズ販売、お茶を買いに走る役目までこなしながら、デザインを教えてもらっていました。
大学卒業後、フリーランスとしてなかなか芽が出なかった私に「ちゃんと勉強をしろ」と、デザイン会社への就職を勧めてくれたのも師匠です。イラストレーターになる夢はかないませんでしたが、デザイナーの道へ進んでよかったと思っています。
その師匠が、一度だけ私をほめてくれたことがあります。加東市へのUターン後、年商の報告をした時です。「よく頑張ったな」と声をかけてもらい、焼肉屋で二人で号泣しました。今もしょっちゅう叱られますし、頭が上がりません。私にとって、本当に大きな意味を持つ出会いだったと感謝しています。
*ローディ―:アーティストやミュージシャンがコンサートツアーやライブを行う際、使用する楽器や機材の手配、管理、運搬、メンテナンス、セッティングなどを行う仕事
ゼロからの出発だったフリーランス時代
大阪で独立したばかりの頃は、「仕事をください」って、松屋町筋に並ぶ店舗を一軒ずつ回ったこともありました。独立する直前は、勤務していた会社の商品やサービスのデザインを担当する、社内デザイナーとして働いていたんです。そのため、デザイン制作の専門会社に勤めるデザイナーのように、独立後に引き継げる取引先がなく、フリーランスのデザイナーとして、ゼロからスタートしなくてはならなかったんです。
面識もない店舗へ、いきなり営業に飛び込むのは足がすくみましたが、財布の中に入れた子どもの写真をお守り代わりに、コツコツと開拓していきました。
初めて契約を頂いたときは、うれしかったですね。でもその仕事が、当時まだ知識のなかったシステムを使ったECサイトを整える案件で、必死になって取り組んだ記憶があります。時には、印刷をやり直す大失敗もしてしまったり、2014年に加東市へUターンするまで、いろいろな経験を積むことができました。
3. すべては、お客様の利益のために
「お客様の儲けなくして、弊社の儲けはない」という経営理念は、Uターン後に成文化したものです。お客さんから料金を頂く以上は、利益を出していただかなくてはと思っています。
かつて大阪で勤務していた時、ある企業からの依頼で、ダイレクトメールを制作させていただいたのですが、「顧客に送付すると、1時間ごとに売上が伸びる」と、喜んでいただいたことがありました。経営理念を胸に、今も一生懸命頑張れるのは、あの時の達成感や手応えを得るためかもしれないと思っています。
理念を目に見える形にすると、何のために仕事を頑張るのかが、わかりやすくなりました。スタッフみんなで共有する以前に、自分のためになったと感じているんです。
地元のつながりこそ、Uターン起業の魅力
今は、加東市に戻ってきて、良かったと思えることしかありません。加東市商工会青年部をはじめ、まわりにいるのは、大学進学で地元を離れるまで、仲良くしていた先輩や後輩、同級生たち。またみんなと一緒に時間を過ごせたり、仕事ができたりするのは、本当にうれしい限りです。
2017年には商工会青年部全国大会沖縄大会で、近畿地区の代表として「商人(あきんど)ネットワーク(*)」での発表機会をいただき、2019年には商工会青年部の部長を務めさせていただきました。自社の事業の成長にとっても、また地域貢献という意味でも、今後も商工会活動に積極的に取り組ませていただこうと思っています。
*商人ネットワーク:年に一度、全国の小規模事業者の若手の代表が集結する会合で、自社事業の周知のために、数千人の前で5分間の事業発表を行う
従業員紹介
デザイナー 石野賢吾さん
クリエイターへの憧れがかなった!
ティーダデザインで働き始めるまでは、子どもから大人までを対象にした姫路市の英会話教室で、英語講師をしていました。
もともと絵を描くのが好きだったんですが、芸術系の進路で職業に就くのは難しそうだと思い込んでいたため、得意だった英語を活かそうと、語学の道を選びました。
でも、クリエイティブな仕事への憧れが、ずっと心の片隅にくすぶっていたこと、拘束時間の長い業務に疲れ果てていたことから、英会話教室を退職。その後、オンラインによるデジタルクリエイター養成スクールに入学し、約半年間、現役デザイナーのもとでデザインを勉強しました。
卒業後はクラウドソーシングサイトで、バナー制作をはじめ、ロゴ作成やホームページデザインの仕事を請け負っていたのですが、一人でデザインをする限界を感じてしまったんです。自分が考えたデザインで本当にいいのか、第三者の客観的な意見を求められないことは、経験の浅い私には大きなネックでした。
誰かの客観的な意見を聞きながら、デザインの修業がしたいと思い始めていた矢先、「ティーダデザインが、デザイナーの募集をしている」と知人が教えてくれ、入社することができました。
デザインは、情報をきちんと伝達するためにある
入社後は、勉強になることばかりで、「修行」をさせてもらっています。今はカタログの修正や、ホームページのデザイン、コーディングを行っています。意外なところで前職が活かせるのは、コーディングがすべて英語なので、すぐ意味を理解できることです。また、デザイナーは様々な業種の知識が必要になる職業なので、異業種の経験が活かせる仕事だと感じます。どんな経験も無駄にしない姿勢が大切だということも、勉強になっています。
仕事に取り組む上で、一番大切にしていることは、お客様に情報がちゃんと伝わるものを制作することです。「デザイン」という言葉の響きが、アーティスティックなイメージを想起させますが、実際には「情報を伝達するためのもの」です。情報が伝わるものを制作するためには、自分の中で伝えるべきことをきちんと言語化することが必要です。届けたいターゲットの年齢層や性別、職業などを考慮して、目にした人が一番気持ち良く、見やすいと思えるデザインを心掛けています。
自分が頭の中で想像していたものが、具体的に形になってできあがる達成感は、やはりクリエイティブな仕事の醍醐味ですね。
目標は、指名されるデザイナー
わからないことがあれば、遠慮したり委縮したりすることなく、すぐに尋ねることができる和やかな職場の雰囲気であること。村上社長を筆頭に、他愛もない日常の話で笑い合える穏やかさで、仕事に集中できること。就業時間内にきっちり終われて、土日祝日の休みがあること。ティーダデザインの職場としての良さは、たくさんあります。
どんな仕事にもやりがいを感じられるので、与えられた仕事は全部こなしたい。特に、養成スクールではウェブデザイン専攻であったため、印刷物を勉強し、スキルを磨きたいと思っています。そしていつか、「石野さんに任せたい」と、お客さんから指名をいただけるデザイナーになりたいと思っているんです。
人生って、何が起こるかわかりません。クリエイティブな道を一度は諦めた私が、今こんな「冒険」をさせてもらえるなんて、縁に恵まれたことに感謝しているんです。
文:内橋麻衣子/写真:高橋武男
※令和4年度 加東市商工会企業紹介PR事業